こんにちは。
二タ見宇兎丸です。
コーヒーを飲んでも、眠い時は眠いですね。
お腹がタポタポです。
プライベートでも仕事でも、たくさんの人や場面に出会っていると、
ふと何かに気づくことがあります。
「あ、この人とこの人、なんとなく苦手だと思っていたけど、共通する特徴があるな」とか。
「自分と兄弟って、似ているところと全然違うところがあるな」とか。
些細なことでも、そういう発見は面白いものです。
僕は何かに気づいた時、人に話したり、こうして文章にしたりして整理することが多いです。
今回は、最近改めて考えたことについて書こうと思います。
教育について物思いにふけっていると、ADHDな僕の脳が妙な関連づけを始めることがあります。
その時によく出てくるのが、大好きなゲームやマンガです。
今回の話も、ポケットモンスターと結びついたことで、急に自分の中で腑に落ちました。
その前に、大学時代の話をします。
僕は音楽大学へ通っていました。
音楽大学には、楽器ごとの専門授業があります。
同期のトランペット専攻が集まり、一人ずつ演奏し、それを互いに聴き合う授業がありました。
一人一人の実力が露骨に見えるので、メンタル的にはなかなか厳しい授業でした。
もっとも、将来的に演奏家を目指すのであれば、
人前で吹く緊張感には慣れていかなければなりません。
そういう意味では、その訓練でもあったのでしょう。
当時の大学には、各楽器の世界で影響力の強い先生と、そうではない先生がいました。
大学内だけの話というより、各楽器の業界そのものに、門下や派閥のようなものがあるのです。
僕が当時師事していた先生は、現在の日本のトランペット界でも
かなり主流の方向性を持つ先生でした。
そのため僕の演奏も、同期の中で「方向性があまりに違う」と見られることはありませんでした。
他にも、トランペット界で大きな影響力を持つ先生の門下生たちがいました。
彼らも緊張こそすれど、少なくとも「何をやっているのかわからない」
と思われるような演奏にはなりにくかったと思います。
そんな中で、一人だけ、かなり違う方向性の先生に師事している同期がいました。
その先生は海外出身で、日本のトランペット界の主流とは少し異なるアプローチをされる方でした。
当然、その門下生たちの音や演奏の方向性にも違いがありました。
その同期の彼は、最初の頃の演奏があまり振るいませんでした。
そして音楽大学という場所は世知辛いもので、演奏が上手いかどうかが、
そのまま学生同士の立ち位置に影響します。
周囲から「下手な人」と見なされた彼は、
だんだんと邪魔者のように扱われるようになっていきました。
正直に言えば、僕も最初は彼のことを「ちょっと困った子だな」と思っていました。
その認識が変わったのは、僕自身が師事する先生を変更し、彼と同じ門下に入ることになった時です。
門下変更の手続きをするため、例の海外出身の先生のもとへ行った時、
「どうせなら今日、この後に門下のおさらい会があるから聴いていくといいよ」
と声をかけていただきました。
せっかくなので、聴いていくことにしました。
他門下の先輩たちの演奏をまとまって聴くのは初めてでした。
非常に良い刺激でした。
そして何より大きかったのが、例の同期の彼の演奏に対する印象が変わったことです。
彼が突然劇的に上手くなったわけではありません。
でも、同じ門下の先輩たちの演奏と並べて聴いたことで、
「ああ、この人は、これを目指していたのか」
と初めて理解できたのです。
ただ、この表現もしっくりきていませんでした。
そこで、ポケモンです。
例えば、草タイプの種ポケモンがたくさんいる集団を想像してください。
最新作で言えば、ニャオハがたくさんいるような状態です。
この集団では、最終的に「マジカルリーフを上手く使えるようになること」
が目標だったとしましょう。
周りのニャオハたちは、上手い下手はあれど、みんな「このは」を使えています。
ところが、その中に一匹だけ、まったく「このは」が使えない子がいます。
葉っぱどころか、口から煙ばかり出ている。
この集団の物差しで見れば、ぱっと見は劣等生です。
「なんでこのはすら出せないんだ?」
と思われるでしょう。
でも、よく見てみると、その子はニャオハではありませんでした。
ホゲータだったのです。
炎タイプなのだから、「このは」が使えなくて当然です。
むしろ口から煙が出ているなら、あと少しで「ひのこ」が使えるようになるのかもしれません。
この子の目標は、マジカルリーフではありません。
かえんほうしゃです。
そう考えると、
「このはが使えないから劣っている」
という評価そのものが、的外れだったことになります。
目標や終着点が違えば、当然そこへ至る過程も違います。
優劣をつける前に、
そもそも同じゴールを目指しているのか。
同じ物差しで測っていいのか。
そこを確認しなければならないのだと思います。
音楽大学では、自分が習ってきたものだけを「正解」だと思い込みやすい環境があります。
少なくとも、僕はそう感じていました。
同期の大多数が草タイプだった中で、彼はホゲータだった。
それだけだったのかもしれません。
でも、種ポケモンの頃についた評価は、なかなか消えません。
皆が進化して、それぞれ違うタイプや特徴を持っていることに気づき始めても、
「あの人は下手だった」
という最初の印象だけが残ってしまうことがあります。
彼は大学生活の中で、どこか寂しそうに見えることがありました。
ちなみに僕自身はどうだったのか。
進化してみたところ、僕はオーガポンだった気がします。
そもそも進化しない。
仮面を付け替えることでタイプは変えられるけれど、どのタイプでも頂点には立てない。
器用なのか不器用なのか、よくわからないポケモンです。
マニアックな話になってしまいました。
でも、僕にとってはこの例えが一番しっくりきました。
人にはそれぞれ得意なことがあり、向いている方向があり、目指している場所も違います。
一見「できていない」ように見える人も、
その人がそもそも何を目指しているのかを知れば、見え方が変わるかもしれません。
自分の周りの人を勝手に同じタイプだと思い込まず、
「もしかして、この人は自分とは違うタイプなのでは?」
と一度考えてみる。
それだけで、必要のない競争や見下し、衝突を少し減らせるのかもしれません。



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