兎角日記〜多様性に配慮した教育現場もどき〜

兎角日記

※この記事は2024年に書かれたものです。当時、私は小学校の音楽専科教員として勤務していました。2026年現在も、この記事で書いた違和感の根本は変わっていません。その一方で、教育現場を取り巻く環境も少しずつ変化しています。当時の記録としてご覧ください。

こんにちは。
二夕見宇兎丸です。
外で元気に遊ぶ子どもたちを見ると、楽しそうだと思う反面、熱中症も心配になってしまいます。

今回は、以前の学校に音楽専科教員として勤務していた頃から
ずっと心に引っかかっている出来事について書こうと思います。
ほぼ新任だった僕は、毎日先輩教員の授業を見て学びながら仕事をしていました。

教育実習とは比べものにならない忙しさでしたが、とても充実した毎日でした。
そんな日々を振り返っても、一つだけ今でも忘れられない出来事があります。
以前も触れた、LGBTQ+に関する話です。

僕の担当は音楽でした。
専門は中学校・高校ですが、小学校では音楽専科として勤務していました。
小学校では、全員がソプラノリコーダーや鍵盤ハーモニカを使って演奏します。

鍵盤ハーモニカにはホース状の唄口(マウスピース)があり、
僕の勤務校では衛生面や紛失防止のため、教員が預かって管理していました。

授業では、まず楽器本体を配り、その後に唄口を配ります。
低学年は一斉に動くと衝突やふざけ合いにつながることもあるため、
児童を二つのグループに分けて順番に動いてもらいます。

ある日、その二つのグループを先輩教員が「男女」で分けていました。
僕は、その場で少し違和感を覚えました。

もちろん、深い意味はなかったのだと思います。
ですが、「男女で分ける必要がある場面なのだろうか」と考えてしまったのです。
教育現場は時代とともに少しずつ変わっています。
例えば、以前は男女別になっていた名簿も、
現在では性別に関係なく名前順になっている学校が増えています。

そうした変化を知っていたからこそ、僕は気になりました。
そこで先輩教員に尋ねてみました。
すると返ってきたのは、
「大丈夫ですよ。〇年生には性同一性について配慮が必要な子がいるので、その学年ではしません。
でも他の学年にはそういう子はいませんから。」
という趣旨の返答でした。

僕は、その言葉にさらに違和感を覚えました。
なぜなら、「いない」と言い切れる根拠は誰にもないと思ったからです。
小学生という年齢では、まだ自分でも気付いていないかもしれません。
気付いていても、誰にも話せない子がいるかもしれません。
家庭環境や周囲への不安から、言葉にできないこともあるでしょう。

だから私は、「配慮が必要な子はいない」と断言してしまうことに、どうしても抵抗がありました。
私自身、高校生の頃に保健の授業で性の多様性について学んだことがあります。
もちろん、授業そのものを否定したいわけではありません。
ただ当時の私は、「世の中にはこういう人たちがいます。だから配慮しましょう」という説明を、
自分とは別の特別な存在について話しているように感じてしまいました。
どこか教科書の中の存在として紹介されているような感覚でした。

その時の僕は、とても苦しかったことを覚えています。
だからこそ、教育現場では「誰かがいるから配慮する」のではなく、
「誰がいても困らないようにする」という考え方が自然であってほしいと思いました。

僕は男女ではなく、出席番号の奇数・偶数でグループ分けをしていました。
低学年では奇数・偶数そのものが難しいため、その都度黒板に説明を書きながら進めていました。
少し手間は増えます。

それでも、誰かを前提にしない配慮の方が、私にはしっくりきました。
当時の私は、自分が過敏なのではないかと何度も考えました。
2026年になった今でも、その答えは分かりません。
それでも、「もし一人でも傷つく子がいるかもしれない」と考えた結果の配慮であれば、
私はその姿勢を後悔していません。

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