こんにちは。二夕見宇兎丸です。
天気が悪くなると、露骨に頭が痛くなります。
「明日は我が身」。
僕にとって、とても大切にしている言葉です。
できれば、この言葉が皆さんにとっても大切なものになればと思っています。
今日、白い目で見ていた視覚障害のある方が、明日は自分かもしれません。
事故や病気で視力を失う日が来る可能性は、誰にでもあります。
あの日、知的障害のある子を馬鹿にしていた人も、
将来、自分の子どもが同じような特性を持って生まれてくるかもしれません。
その時、あの日と同じように笑うことはできるでしょうか。
珍しく、少し説教じみた書き出しになってしまいました。
一般的に「明日は我が身」という言葉は、
自分が被害者になる可能性を考える時に使われます。
でも僕は、それだけではないと思っています。
自分が、あの日理解できなかった犯罪者になる可能性。
あの時許せなかった、いじめの加害者になる可能性。
そういう可能性も、「明日は我が身」の中には含まれているのではないでしょうか。
あくまで僕自身の話ですが、僕は共感性があまり高くありません。
そのせいなのか、時折とても反社会的な考えが頭をよぎることがあります。
「殺してしまえばいい。」
「もし殺すなら、こうする。」
「人権は全員に同じように与えられるべきなのだろうか。」
もちろん、これらは実際に行動へ移したいという願望ではありません。
ただ、そうした考えが思考の片隅に浮かぶこと自体は、
僕にとって珍しいことではないのです。
あまりに当たり前になっているので、いざ説明しようとすると難しくなります。
皆さんも「普通の人ってどんな人ですか」と聞かれると、
意外と説明しづらいのではないでしょうか。
凶悪事件のニュースを見るたびに、僕は少しドキッとします。
事件そのものに興味があるというより、
「なぜ、その人はそこまで至ったのだろう」と考えてしまうからです。
僕は損をすることが嫌いです。
だから、犯罪を犯そうとは思いません。
現実には、得られるものより失うものの方が圧倒的に大きいからです。
それでも、人間である以上、衝動そのものがゼロになるわけではありません。
疲れていたり、ストレスが溜まっていたりすると、
その衝動が普段より少し強く顔を出すことがあります。
だからこそ、自分を知っておきたいのです。
僕が猟奇事件や独裁者、歴史に残る凶悪犯罪などを調べるのは、憧れからではありません。
「人はどんな時に道を踏み外すのか。」
「どういう考え方をすると、そこへ行き着いてしまうのか。」
それを知ることで、自分自身もそうならないよう戒めたいのです。
ゲームの中で空を飛ぶことはできても、現実では飛べません。
だからゲームの中で落下してしまえば、「現実では気を付けよう」と思います。
僕にとって犯罪史を読むことも、それと少し似ています。
人間の危うさを知ることで、自分自身の危うさも見失わないようにしているのです。
特に疲れが溜まっている時ほど、そのような記録を読み返すことがあります。
本当は、お気に入りの事件についても色々と考えたことを書いてみたい気持ちはあります。
ただ、それが誰かを傷つけたり、
不必要に不快な思いをさせたりする内容にならないかは、慎重に考えたいと思っています。
自分の興味を発信することと、誰かへの配慮。
その境界線は、これからも考え続けていくつもりです。



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