こんにちは。
二夕見宇兎丸です。
むわっと暑い廊下と、涼しすぎる部屋との寒暖差で、アレルギーが起きそうです。
以前から、僕自身が発達障害(ASD・ADHD)であることを何度か書いてきました。
僕の場合は、どちらかというとASDの特性が強めです。
そのため、人から見ると倫理観や道徳観が欠如している、と感じられる部分もあるそうです。
事実、自分でも日常生活を送っていて、
「これは言っちゃいけないんだろうな」
「こう言っておいた方がいいんだろうな」と、常識に忖度しながら過ごすことがよくあります。
そのスタンスを身につけた今でも大変ですが、身につけるまでが本当に地獄でした。
毎日が地獄でしたが、その中でも特に印象に残っているのが、道徳の授業です。
記憶に残っているのは、中学一年生の頃の道徳です。
それ以降の授業も、体調不良で休んだ日以外はすべて受けています。
それなのに、この日の授業以外ほとんど覚えていません。
理由はきっと――というより、ほぼ間違いなく、この日の出来事にあります。
どういった題材だったか細部までは覚えていません。
たしか、世界のどこかでは今も戦争が続いていて、
自分たちと同じくらいの年齢の子どもが銃を持ち、人を殺している。
それについてどう思うか。そんな内容だったと思います。
宿題として一度家に持ち帰って考える時間が与えられたので、僕は母にその話をしました。
今思えば母は、極端な考え方に偏らないように、
あるいは少数派の考え方も理解できるようにという思いから、
あえて逆の立場で話をしてくれたのだと思います。
母はこう言いました。
「もし戦場にいるある少年が、銃の扱いに天賦の才能を持ち、
それを使うことに喜びを感じていたとしたら。」
その場合、彼にとっての幸せは戦場にあることになります。
戦場から引き離すことは、彼から幸せを奪うことになるかもしれません。
また、人は誰しも幸せになるために行動する生き物です。
だとすれば、少年にとってその行動は、少年自身の視点では正しい行動なのではないか。
『一般的な不幸せが、万人にとっての不幸せとは限らない。』
僕は今でもこの考えを疑っていません。
疑わないどころか、一つの真実だと思っています。
母は、
「どうせ決まりきった答えしか出ない問題なのに、それで評価されるのは嫌だ」
という僕の気持ちを汲み取り、別の視点を与えてくれたのでした。
しかし僕は、それを「別の視点」ではなく、「真の答え」だと受け止めてしまいました。
意気揚々と次回の道徳の授業へ向かい、グループワークでその意見を披露しました。
僕のグループには、絵に描いたような優等生の少女がいました。
Tさんとしましょう。
Tさんは、「子どもを戦場へ送り込むなんて言語道断だ。」
という、いわゆる模範解答の立場でした。
当然、僕の意見は真っ向から衝突します。
Tさんもまだ中学一年生です。
「普通はこうでしょ。」
その一点張りでした。
対する僕は、幼い頃から言葉を覚えるのが早く、
何より「話すこと」が得意でした。
持っている知識と言葉、そして前日に母と考えた理屈を総動員し、
Tさんの意見を論破してしまいました。
教室は大混乱です。
今思えば、担任の先生には本当にご迷惑をおかけしました。
しかし、僕は担任の先生のことも許せませんでした。
先生は荒れる僕たちをなだめながら、「道徳には答えはない。」と言いました。
その直後に、「でもTさんの方が……」という趣旨のことを口にしたのです。
直接「正しい」とは言わなかったと思います。
でも、僕にはそう聞こえました。
「普通はこうに決まっている。」
そう言われたような気がしたのです。
僕の発達障害はいずれも中程度との診断です。
だから、人の腹の中が読める時と読めない時があります。
道徳という巨大な存在の腹の中は読めませんでした。
でも、それに振り回されて困っている担任の先生の気持ちは読めました。
Tさんは泣いていました。
僕は父から「泣くのは卑怯だ」と強く言われて育ったので、泣きませんでした。
泣いたら負け。
そう思っていました。
以来、道徳は本格的に嫌いです。
今でも。
きっとこれからも。
もちろん、ある程度の道徳観は暗記しました。
自分なりに納得できる理由づけもしました。
散々理屈で考えて、「あれをしたらこうなる」「これをしたらそうなる」
「そうなると、こういう不利益が生じる」。だから、やらない方がいい。
そんなふうに、一つひとつ組み立てています。
今でもそれを繰り返して、自分の中で勉強しています。
勉強というより、プログラミングですね。
コマンドやコードを打ち込み、機械に分かる言葉へ翻訳する。
僕にとって道徳は、そんな作業に近いのです。
これを読んでくださっている方の近くに、非倫理的だと思われる考え方を持つ人がいたら、
この話を少し思い出していただけたら嬉しいです。
その考えに至るまでに苦しみ、
その後も本人の望む望まないにかかわらず苦しみ続けていることがあります。
そういう星のもとに生まれた人もいます。
そして、そういう人は自分自身のことも責め続けます。
自分にさえ、道徳を向けられないのです。
どうか優しく見守り、受け入れ、安心させてあげてください。
やはり僕には、ニンゲンの真似事は難しいみたいです。



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